今日のコラム:48歳の誕生日に思うこと
2007年9月 2日 23:24

▲誕生プレゼントで次女からもらったマグカップ
9月2日が誕生日なので、めでたく48歳となった。
めでたくというのは、32歳で癌を煩い、2度の手術および4ヶ月の入院経験のある僕には、その後は生かされたという想いが強いからだ。
人は生かされているものであると思うから、この日まで生かしてくれたことを、家族は別として、誰にということはなく感謝したい。
本題。
江戸時代の平均年齢は、乳幼児に死亡した人間を除けば「50歳ぐらい」という説が有力だ。
当時は10代半ばで大人になり、40代は隠居の年齢であるから信憑性もある。
ところが現代社会において40代といえば、社会の中核をなす重要な世代であり、50代ともなれば組織のトップとなる世代である。
平均寿命も延びたが、40~50代に課せられる社会的責任も多くなったわけだ。
さて、僕の場合、50歳を目前として感じることは、年々、些細なこだわりを捨てながら、齢(よわい)を嵩ねているのだなとうことだ。
社会的地位とか、誰と比べてどうとか...。
誰かに言われたから、誰かの本を読んだからといって、思想の根元が揺らぐことも、なくなってきた。
さらに言えば、最近、勝ち負けということにも、あまりこだわりがなくなった。
誰に勝とうが、誰に負けようが、そんなことはどうでもよくて、自分が正しいと信じて、世の中にとって有益であると思えば動けばいい。
そして、齢を嵩ねれば、時には知人との悲しい別れもあるが、新たな出会いの楽しみもあることに気づく。
何歳になろうが、出会いこそが、自分の環境を変えるチャンスの始まりだと思う。
48歳の今年1年は、誰と、どんな、新たな出会いがあるのだろう。
それを楽しみに、笑ったり、怒ったり、苦しんだり、悲しんだりすることを繰り返して、生きていくのだろうな。と思う。
何歳になっても未来を諦めずに生きていたいものだ。
投稿者: Dakiny 日時: 2007年9月 2日 23:24 |
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