5月20日(日) 奥の細道むすびの地(岐阜県大垣市)
2007年5月23日 06:12

▲大垣市街を流れる水門川と住吉灯台(奥の細道むすびの地の対岸にある)
1689(元禄2)年の旧暦8月21日、松尾芭蕉は、5ヶ月にわたる『奥の細道』の旅を大垣で終え、門人たちと交わった後、9月6日「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠み、水門川の船町港から桑名へと舟で下る。
ということは知っていたが、大垣市に住み10年、初めて現地を訪れた。

▲奥の細道むすびの地に建つ、松尾芭蕉と谷木因像
現地につき道ばたにジープを停めて、写真を撮りながら徘徊していると、向かいの和菓子屋さんから、主人らしき方が出てきて、現地を案内してくれた。
どうやらボランティアで旅人を案内しているらしい。好意を無にするのも無下なことゆえ、大垣市在住と言うことはひと言も語らず、素直に慣れた口上に耳を傾ける。
以下は、その方からの受け売り知識だ。
芭蕉の俳友である、谷木因(たにぼくいん)は乾物で財を成し、むすびの地の向かいに店舗を構えていた。
芭蕉は木因宅に4度逗留している。感慨深そうに木因宅を眺める芭蕉と、それを離れて見守る木因という構図である故、彼らの像は川を背にしているのだとか…。
水門側は揖斐川を通じて、桑名に至る。
また、大垣に近い関ヶ原は北陸街道と中山道の交わる地でもある。
江戸時代、大垣藩は水路と陸路のハブとして栄えたようだ。
親切な案内者に丁寧に礼を述べ、現地を後にした。

▲松尾芭蕉像
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず...
芭蕉にとっての旅は人生そのものだったのだな。
投稿者: Dakiny 日時: 2007年5月23日 06:12 |
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