父亡くなる その1 危篤から葬儀の準備まで
2006年7月 6日 09:46
誰もが経験することであるが、私の父が満81歳の誕生日10日前に亡くなった。
私は父を「小さな葬式」で行ったので、「家族葬」や「小さな葬式」に関心のある方はお読みいただきたい。
経過を書こう。
7月5日木曜日、午後3時、「父倒れる。意識不明」の知らせを妻より聞く。
一瞬、私は誰が倒れたのか見当もつかなかった。
なぜならば、私の父は、当日の昼に会社の書類に印鑑を押し、にこやかに妻を見送った人物であるからだ。
突然、倒れて、救急車で病院に運ばれたそうだ。
急遽、父が運ばれた岐阜県病院に駆けつけるが、父は意識不明で、主治医のT先生の話を母と共に伺うと、「極めて重傷の脳内出血であり、ここ2~3日の命でしょう。また、脳幹にダメージをうけており、奇跡的に命をとりとめても意識が戻ることは二度とないでしょう」とのことであった。
いつでも病院に来れる準備をしてくださいと連絡を受け、いったん自宅に戻ってすぐ、「容態が急変したので来てほしい」と連絡があり、娘達を乗せ、駆けつける途中の車中で、「午後11時30分、父亡くなる」の知らせを聞く。
葬儀関係に知人を持つ弟の手配で、葬儀社の方がみえ、いったん自宅に遺体を運ぶ。
喪主は長男である私に決まった。葬儀をどう行うかを、母、弟と葬儀社の方を交えながらすすめる。生前の父は長年教員を務め、県の校長会副会長や、日赤の理事を務めた人物であるので、普通に葬儀を行えばかなり大がかりなものになるが、生前の父の話を思い出し、また父の性格を考えると、小さな葬儀を望んでいたようであるので、親しい方々にも知らせず、親族のみでささやかに見送ることにした。
また、香典は一切いただかないこととした。
僧侶は私の意向で浄土真宗大谷派で手配をお願いした。
葬儀社の方にふたつほど、故人の意向を汲んで、わがままを言わせていただいた。
ひとつは、遺影である。父はオシャレな男とであった。既存の写真を写真館に頼んで引き延ばしてもらっても、見栄えのよい写真にはならないので、一番よい写真を選び私が引き延ばすことにさせていただいた。
もうひとつは、葬儀の音楽である。父が生前「俺の葬儀にはJAZZをかけてくれるといいな」でと言っていたので、故人の一番好きなルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」をかけさせていただくことをお願いした。
私は遺影を作ったり、出棺のテープを作ったりせねばならぬので、親族の連絡等を弟と母に託して、午前4時解散。
「父亡くなる その2」に続く
投稿者: Dakiny 日時: 2006年7月 6日 09:46 |
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